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東京地方裁判所 昭和50年(ワ)1310号 判決 1979年3月27日

原告

上野實

原告

上野ヨシエ

右原告両名訴訟代理人

田中敏夫

外六名

被告

日本国有鉄道

右代表者総裁

高木文雄

右訴訟代理人

森本寛美

外四名

主文

一  被告は、原告らそれぞれに対し、各金八八七万円及びこれに対する昭和五〇年三月二七日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを二分し、その一を被告の、その余を原告らの各負担とする。

四  この判決は第一項に限り、仮に執行することができる。

事実<省略>

理由

一亡孝司が、昭和四八年二月一日午後九時二五分ころ、国鉄高田馬場駅の一、二番線島型ホームから山手線内回り線路上に転落し、その附近にい合せた一般乗客らが同人を引き上げようとしている最中に、池袋方向から新宿方向へ向かう山手線内回り電車が進入してきたため同人が右電車とホームとの間にはさまれ、そのため同人が即死したことは当事者間に争いがなく、また、<証拠>によると、亡孝司は昭和二〇年ころ事故で左目を失明し、更にその後右目も二度にわたる事故で網膜が剥離し、昭和四三年ころ右目も失明したものであることが認められ、他に右認定を左右する証拠はない。

二原告らは、本件事故現場である国鉄高田馬場駅ホームには盲人のホームからの転落を防止する設備が設けられておらず、そのために亡孝司がホーム上から転落し本件事故が発生したもので、本件ホームには設置又は保存上瑕疵がある旨主張するのでその点について判断する。

<証拠>によると、本件高田馬場駅の国鉄山手線外回り、内回り電車が発着する一、二番線ホームは全長二六三メートルの高架島型のホームで、北側すなわち池袋寄りの約三分の一附近には駅舎に通ずる地下道との階段が、約三分の二の附近には西武線ホームと連絡する跨線橋との階段が、また南端には南口(戸山口)改札口に通ずる階段がそれぞれ設けられており、本件事故当時、ホーム上には右南端からホーム中央に向かつて三〇メートルの間の左右両端にそれぞれ手すりが設けられ、さらにその先端から右跨線橋の南側階段入口までの六三メートルの間の左右両端に厚さ一ミリメートルのキクラインテープを二枚重ねしたものを一条ずつ貼付されていた(右キクラインテープ貼付の事実は当事者間に争いがない。)ほか、内回り線の発着する二番線ホーム側のその余の部分一一七メートルの間及び外回り線の発着する一番線ホーム側には一部キクラインテープ貼付の部分と重なつて二一二メートルの間の各ホーム最側端にそれぞれクリンタイルが貼付されており、亡孝司は二番線ホームの前記池袋寄りの地下道に通ずる階段よりさらに池袋寄りの右クリンタイルのみ貼付した箇所から線路上に転落したものであることが認められ、他に右認定を左右する証拠はない。

ところで、<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

1  本件高田馬場駅は、その周辺に盲人のための職業訓練学校であるヘレンケラー学院、日本点字図書館等盲人のための施設があるため同駅を利用する盲人の乗降客は一日二二〇名から二三〇名に上り、国、私鉄の中でも盲人の利用客の多い駅のひとつで(右盲人施設の存在及び盲人利用客の多い駅の一つであることは当事者間に争いがない。)、昭和四七年には東京都において同駅周辺を視力障害者対策モデル地区として指定し、周辺道路に盲人のための歩行誘導施設である点字ブロツクを敷設した。

2  昭和四七年二月、国鉄山手線目白駅の近くに在る東京教育大学教育学部附属盲学校の生徒会の代表者と教師数名が右目白駅を訪れ、同駅に対し盲人が駅ホームから転落する事例が多いため安全予防施設として駅前の目白通りに敷設してある点字ブロツクと同一のものを駅ホームにも敷設して貰いたい旨要望するとともに、右盲学校長名をもつて要望書を提出したので、同駅駅長において駅施設の身体障害者歩行安全施設の担当者である被告首都圏本部東京西鉄道管理局営業部旅客課指導係に右要望のあつたことを伝え、同指導係長とともに、右目白通りに敷設してある点字ブロツクを実地に見分したところ、同点字ブロツクはコンクリート製で、縦、横三〇センチメートルの台座の上に直径三センチメートルの半球状の突起がついていて、台座面が地面から二センチメートル高くなつており、右点字ブロツクを駅ホームに敷設すると一般旅客が電車の乗降等に際してつまずく虞れがあつて危険であると判断され、当時他に盲人の歩行安全施設のあることを知らなかつたため、今後検討するが取敢えず右点字ブロツクの代りに当時駅の滑り止め及び方向指示用として床に貼付して使用していたキクラインテープを貼付することを思いつき、前記盲学校側に対し、点字ブロツクの危険性を説明するとともにキクラインテープの貼付を提案し、両者が立会つて実際に駅ホーム上で試してみたところ、右テープの厚さが一ミリメートルで表面が平らなため一枚では効果がなく、三枚重ねではまたつまずく虞れがあるところから結局二枚重ねで貼付することで双方了解が成立し、同年三月同駅ホーム白線の内側に七センチメートルの間隔を空けて二条ずつ二枚重ねてキクラインテープの貼付を了した。

3  そこで、右鉄道管理局として、右を契機に盲人の利用客の多い駅に右キクラインテープを貼付することとし、代々木、高円寺、阿佐が谷、西八王子の各駅の外高田馬場駅にも貼付するよう指示した。

高田馬場駅では、右指示が資材が充分でなく必要箇所に貼付するようにとのことであつたので、右貼付にあたつてヘレンケラー学院の事務長の意見を徴し、盲人の利用が多いと思われる前記区間に貼付した。

4  ところが、昭和四七年夏ころ、「東京都視力障害者の生活と権利を守る会」の西部ブロツクの代表が高田馬場駅を訪れて、キクラインテープでは突起部分がなく安全予防施設としての効用が薄いので点字ブロツクを敷設して貰いたい盲陳情するとともに、その際点字ブロツクを含め盲人用歩行設備を開発製品化していた安全交通試験研究センターの製品のパンフレツトと同センターの製品である点字タイルD型を持参してきて示し、さらに同年一二月ころ、都内三二の盲人協会で組織している社団法人東京都盲人福祉団体連合会の代表も高田馬場駅を訪れ、同じく点字タイルD型の敷設方を陳情した。

右点字タイルD型は、縦、横三〇センチメートル、厚さ二ミリメートルの板の上に高さ五ミリメートルの突起が六四個ついた塩化ビニール樹脂製のもので、任意の大きさ形状に裁断することができ、床に接着剤で貼付するもので、本件高田馬場駅のホーム全側端に貼付するとしても数十万円の費用で足りる程度のものであつた。

右「生活と権利を守る会」の陳情を受けた高田馬場駅長は直ちに右陳情のあつたことを局へ申達したが、局、旅客課指導係としてはそのうち関係者を集め打合会を開催して検討するということで、その後陳情側の度々の催促があつたのにかかわらずそのまま推移するうちに本件事故が発生するに至つた。

5  また盲人用の安全歩行設備としては、前記安全交通試験研究センターにおいて、昭和四〇年に点字ブロツク、昭和四一、二年に点字タイルがそれぞれ開発され、既に昭和四五年二月には国鉄阪和線の我孫子町駅で白色点字タイルが、また昭和四七年二月には同じく阪和線和歌山駅及び紀伊駅で点字ブロツクと点字タイルが駅ホームに使用されており、前記西鉄道管理局旅客課指導係においても昭和四七年夏ごろには右点字タイルD型の実物をみてその存在を知り、本件事故後の昭和四八年三月被告本社の指示により本件高田馬場駅のコンコース及びホームのうち手すり部分を除くその余の部分全部の両側端に点字タイルD型を貼付した。

以上の事実が認められ、他に右認定を左右する証拠はない。

そして更に、<証拠>を総合すると、盲人が歩行するに際しては、手に所持する白杖から伝わる感覚と足裏から伝わる感覚を主たる情報源とし、路面の音の反響や家の塀に反射する音響を「影」として感じ、またその他の音声による情報を副次的に利用すること、ところが高架島型ホームを歩行する場合には、晴眼者用のホームの側端を示す白線は利用できないのはもちろんのこと、白杖を頼つて歩いた場合、ホーム中央部分を歩行すると、柱、ベンチ等がありこれをよけたりしているうちに方向を見失なうおそれが大きく、またホーム側端近くを白杖で次に踏み出す足の前を交互に扇形にこすりながら歩いていても、わずかな角度の違いからホーム側端に達してしまい、白杖がホーム側端から出て空を切つた直後に自分の身体自体がホーム側端から出てしまう危険が大きく、盲人のうちには、白杖をホーム側端に沿わせながら歩行する者もあるがこの場合には、ホームに進入してきた電車に身体が巻き込まれるおそれがあり、また高架島型ホームでは音の反響を「影」として利用することもできないため、足裏の感覚に頼らざるを得ず、そのため直接死傷事故に結びつかなくともホームから転落した経験を持つ盲人も少なくないこと、もちろん外出の場合介護者が附添えば危険はないが、常にそれを期待することは困難で、またそれを期待していては盲人の社会的自立が図られないことが認められ、他に右認定を左右する証拠はない。

そこで、以上認定の各事実を総合して勘案するに、盲人の場合晴眼者と異なつて駅のホームから転落する危険性があり、特に島型ホームの場合はその危険性が一層高いものといわなければならない。もちろん盲人と雖も自ら十分注意して行動すべきであり、電車等の交通機関を利用する場合には介護人の附添を受けることが望ましいことではあるが、それを常に期待し要求することは酷で、社会生活上不可能に近いものというべきであるから、被告のように一般旅客の大量輸送を目的とする機関にあつてはできるだけ事故の発生防止のための人的物的設備をなすべき義務があり、すべての駅においてその設備を施すべきか否かはともかくとして、少なくとも本件高田馬場駅のように周辺に盲人のための施設が多く、したがつて盲人の駅利用者も多いうえ、ホームが島型の駅にあつては、盲人がホーム側端を容易に感知でき得るような安全設備を施すべきものというべきである。その点被告が本件ホームに盲人側の意見を徴したうえキクラインテープを貼付したことはそれなりに評価できないことはないが、右キクラインテープなるものがもともと滑り止め及び方向指示用のもので、盲人に対する安全設備として不十分なもので、しかもホームの一部にしか貼付せず、現に亡孝司は右貼付していない部分から転落したものであるうえ、当時既に盲人に対する安全設備として一応十分で、他の晴眼者の乗降にも支障とならない点字タイルが開発され、それ程多額の費用を要せずして敷設することが可能な状態にあり、これを敷設するよう度重なる陳情を受けていたのにかわらず敷設することなく推移していたもので、本件事故当時駅ホームに駅務係として一名しか配置されていなかつた(同事実は当事者間に争いがない。)ことと併せると、本件高田馬場駅のホームは、ホームとして本来有すべき安全性を欠いており、その設置保存に瑕疵があつたものといわざるを得ず、右瑕疵によつて本件事故が発生したものと認めざるを得ない。

しかして、被告が本件ホームを占有していたことは弁論の全趣旨によりこれを認めることができるから、被告は民法七一七条に基づき本件事故に基づく後記損害を賠償すべき義務があるものというべきである。

三次に損害について判断する。

1  逸失利益

<証拠>を総合すると、亡孝司は本件事故当時四二歳で、昭和四三年に全盲となつた後、昭和四五年四月から、盲人のための職業訓練学校であるヘレンケラー学院に入学して昭和四七年六月一四日にあん摩、マツサージ、指圧師の免許を取得し、引き続き同学院ではり、灸師の資格を取得すべく学んでいたもので、本件事故により死亡しなければ、昭和四八年四月からは、あん摩、マツサージ、指圧師の仕事を自家営業で始める予定になつていたこと、東京都内ではり、灸、マツサージのいわゆる三療を自営で行なつている者の営業総収入は、昭和五二、三年ころで概ね年間金二五〇万円から金三〇〇万円で、そのうち白衣、消毒用の器具、消耗品、治療所の家賃等の経費として三分の一を支出するのが通常の状態であることが認められ、以上の事実によれば、亡孝司は、本件事故により死亡しなければ、六三歳である昭和六八年まで三療師として自家営業を営み、その間、少くとも毎年賃金センサス、産業計、企業規模計、男子労働者学歴計全年齢平均給与額と同程度の収入を得られたはずであるとみるのが相当であるので、昭和四八年から昭和五一年までは当裁判所に顕著な右各年度の賃金センサス(産業計、企業規模計、男子労働者学歴計全年齢平均給与額欄)により、昭和五二年以降は同年度の賃金センサス(前同)により総収入を算出し、右総収入のうち経費としてその三分の一を要するとみて、これを控除して純収入を求め、同額から同人の生活費としてその四割を控除し、更に年五分の割合による中間利息をライプニツツ方式により控除すると、亡孝司の死亡による得べかりし利益喪失による損害の現価は別紙第二計算書記載のとおり金一三三一万円(一万円未満切捨て)となる。

なお、原告らは、亡孝司の収入は昭和六八年まで毎年一〇パーセントずつ増加するものと推認すべきである旨主張するが、ことは将来のことにかかり、これを認めるべき証拠もないから、右主張は採用できない。

2  過失相殺

本件事故の態様、盲人のホームにおける歩行の実態は前記認定のとおりであり、右事実関係からすると本件事故は亡孝司においてもう少し慎重に歩行していれば避け得たものと推認することができ、本件事故の発生について亡孝司にも過失があつたものとみざるを得ないから、これを斟酌すると、右1の逸失利益損害中被告に賠償を命ずべき額はその約八割にあたる金一〇六四万円が相当である。

3  亡孝司本人の慰藉料

<証拠>によると、亡孝司は前記認定のように本件事故当時既にあん摩、マツサージ、指圧師の資格を取得して開業を目前にしていたもので、しかも当時既に婚約をしていて近く結婚することが予定されていたことが認められ、それらの事実及び本件事故態様ならびに同人の過失等諸般の事情を斟酌すると、亡孝司に対する慰藉料は金三二〇万円が相当である。

4  相続

<証拠>によると原告らは亡孝司の父母であり、他に相続人のいないことが認められるから、原告らは右1、2の損害賠償債権を法定相続分に従い二分の一ずつ相続により取得したものというべきである。

5  原告ら固有の慰藉料

<証拠>によると、原告らが、本件事故により、息子である亡孝司を失ない多大の精神的苦痛を被つたことが推認され、前記のような本件事故態様並びに亡孝司の過失等諸般の事情を斟酌するならばこれが慰藉料は、原告らがそれぞれについて各金一二〇万円が相当である。

6  弁護士費用

<証拠>によると、原告らは本件訴訟の提起及び追行を原告ら訴訟代理人らに委任し、その報酬として、日本弁護士連合会の報酬基準により支払う旨約したことが認められ、本件事案の性質、本件訴訟の経緯、認容額等を考慮すると、原告らが被告に対して支払を求め得る弁護士費用は各金七五万円が相当である。

よつて、被告は、原告らそれぞれに対し各金八八七万円及びこれに対する本件訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和五〇年三月二七日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払義務があるものというべく、原告らの本訴請求は右の限度で理由があるから、これを正当として認容し、その余は失当として棄却し、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法九三条、九二条、八九条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用し、主文のとおり判決する。

(小川昭二郎 片桐春一 金子順一)

第一計算書<省略>

第二計算書

年度 昭和

純収入

(経費控除後)

生活費

控除率

ライプニツツ係数

現価

備考

四八

八一万四六〇〇円

〇・四

〇・九五二三

四六万五四四六円

四月一日以降

四九

一三六万四四六六円

〇・九〇七〇

七四万二五四二円

五〇

一五八万〇五三三円

〇・八六三八

八一万九一五八円

五一

一七〇万四〇六六円

〇・八二二七

八四万一一六一円

五二~六八

一八七万六八六六円

九・二七五二

一〇四四万四九八八円

以上合計 金一三三一万円

(一万円未満切捨て)

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